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7月18日(月・祝)「賢者の石」

Si_maqian
 司馬遷の『史記列伝』はかなり面白く、かつ含蓄のある話が沢山ある。

 これを読むと(司馬遷の書く)歴史には共通する所があり、身分にとらわれず賢人を用いた王は栄え、奸臣の讒言で賢人や忠臣を斬った王は滅びている。

 例えば、魏の信陵君はコウエイという70歳の門番が賢人だと聞くと、自ら出かけていって手厚い贈り物を渡そうとして交際を請う。コウエイは贈り物を受け取らない。そこで信陵君は大宴会を催してコウエイを主客として迎えに行く。コウエイは一向に慌てずに「私の仲間が屠殺屋街にいます。ご面倒ながら、一行ともどもその男をお訪ねいただきたい」といって屠殺屋街に信陵君とその一行を連れて行く。

 コウエイは仲間の朱該に会い、ことさらに長い立ち話をして、ひそかに流し目をして信陵君の様子を伺う。信陵君は一向にあせる様子もなく、顔色はますますなごやかになっている。そのころ、魏の将軍・大臣・王族・賓客たちは御殿に満ち溢れて、信陵君の杯を挙げるのをまっていた。

 その様子を見て、町の人々はますます人に対して高ぶらない信陵君の人柄に感じ入った(ついでながら、このコウエイと朱該は後に大いに貢献する)。

 歴史を見ると延々とこういうことの繰り返しだ。富貴の身分にありながら、貧賤のものにもへりくだり、賢明な資質を持ちながら、愚鈍なものにも頭を下げる。そのため各国の食客があらそって身を寄せる。賢人の知恵を使うことにより、その王は栄え、国も平和が保たれる。

 
 日本の政治の世界はこれとは逆で、歴史を見れば自明なのに人を余り用いようとはしない。上を狙うような人でも周りはスカスカだったりする。田中角栄や小泉純一郎などちょっと、スタッフ・参謀みたいなのをつかっただけで目立った存在になっている例もあるのに、やり方を変えないというのは不思議な気がする。

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