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9月23日(祝)「あ」

 前日の授業の後、久しぶりに憲法辞典執筆メンバーと会ったこともあり、午前2時すぎまで飲む。学部生の祐二くんが翌日9時半から○○△△省バイトがあるし、もう電車の無い時間になってるので、ウチに泊まって、3時に寝て8時に起き、間に合わないといけないのでタクシーで霞ヶ関へ。

(霞ヶ関に着いて)

 「さすが休みの日の霞ヶ関って、誰も歩いてないな」

 「・・・・・・・・。今日、もしかして休みですか?」

 「えっ、・・・・・・・(絶句)・・・・」

 よく考えたら○○△△省が祝日にバイトを使って仕事をしているはずもなく、休日の朝9時半、霞ヶ関の中心で叫ぶ言葉も無く呆然とする二人であった。

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9月22日(水)「しるす」

 NIRAセミナーの方が前三重県知事の北川正恭氏で、多分NIRAセミナーの「売り」の一つの講座の日だったが、法政大大学院で五十嵐教授が、この前から研究していた明治憲法関連の話をされるので、そちらへ出席。

 確かに、今まで戦後の日本国憲法だけしか見てなかったのだが、日本国民が独力で作りあげた明治憲法の制定史からは学ぶことが多い。日本国憲法も法的には明治憲法(大日本帝国憲法)の改正という形で成立しているし。

 版籍奉還やら西南戦争やら学校制度の確立やら徴兵制やらいろんな事をやりながら、首相級の伊藤博文が一年半も日本を空けてヨーロッパに憲法研究にいっていたりするのだから、明治の創世期のエネルギーがいかにすさまじいかわかる。

 伊藤の部下というか一緒に作っていった主なメンバーが、今でいう内閣法制局長官の井上毅(宮内庁図書頭)、伊藤巳代治、金子堅太郎で、最後は神奈川県八景島に近い夏島という無人島を借り切って、大喧嘩したり、芸者をあげてドンチャン騒ぎをしたりしながら明治憲法の原案を作る。


井上毅(こわし)
 特に井上毅というのが、天才というか異常な努力家で、日の昇らぬうちから深夜まで片時も本を手放すことなし、欧米の思想書から古事記にはじまる日本の書まで、読み体得しているという怪物だ。その彼が、大日本帝国憲法草案(甲、乙)、教育勅語、軍人勅諭、皇室典範を作っていのだから、もっと井上毅は注目されていいはず。

 彼が、明治日本の国の中心と考えた(にした)のは天皇で、そこで

 第一条 日本帝国は万世一系の天皇の治(しる)す所なり
 
 と書くわけだが、

 この治(しる)すとするのが彼の学識で、日本の政体は統治ではない、といっている。日本の国体は 天皇と国民が一体化していて、統治という西洋流の対立構造ではなくて、治(しる)すという形で自然に収まっているのだということを、古事記やら何やらを出してきて例証している。

 結局、井上毅の治(しる)すは西洋流の対立構造でなければ近代憲法と言えないだろうという意見に押されて、統治ということばに換えられる。


戦前: 天皇(国王) VS 臣民  ---- Govern 統治

 から

戦後: 国民主権(国会?)  VS  国民 ---- Govern 統治


という形に替わったが、国民主権という訳の分からないものにとって替わられただけで、明治憲法も昭和憲法も実は官僚機構が牛耳っていることに変わりは無い。

 憲法の教科書などには、必ず「統治機構」という形で国会や行政を説明しているが、本当の国民主権ならば誰が誰を統治するのだ?
 
 今も昔も、一部の権力者達が「奴隷どもや市民どもには何も知らせてはならん。あの愚か者どもに権利など余り与えてはならん。闘技場で見世物でも与えておけばよい」という構造は余り変わらない。今も「生きた戸(livedoor)」と「オポチュニスト(楽天)」の闘技場(野球界)での争いに人民の注意が行っているのを、権力者は喜んでいる。

 「新・市民の憲法」では、今まで統治されてきた市民と統治するものが一体になる。そういう意味で井上毅の構想に近いところがある。

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9月21日(火)「日本の政治」

 Mさんに誘われて某国大使館政治部の方と飲む。当然、日本の政治の話や民主党の話を期待されいてる部分もあるのだろう。一○会がフカヒレやスッチー合コンやを使って新人を勧誘している話みたいな話は当然せずにマジな話に終始。岡田体制は次の選挙までまとまるか?岡田民主党の外交安全保障政策は?など。

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9月20日(月)「労働」

 プロ野球のストでは、マスコミは当初かなり批判的だった。「ファンのことを考えない選手の身勝手。子供達の夢をつぶすな」みたいな論調でやっつけられると踏んでいたのだろう。ところが、誰が知恵者だったのか、選手側のファンへの対応がよかったこともあり、ファンと一般人が選手側についた。一般の人も経営者側のうそ臭さに気づいたのだ。そして、マスコミはその態度を反転させた。

 もし、プロ野球でなかったら、もし選手側の対応がファンの共感を呼ぶものでなければ、このストはあっさりと潰されていただろう。それほど今の日本ではストを打つことが難しくなっている。以前の選挙区で何社か倒産した会社の組合に何度か行かせてもらったが、会社が潰れる(ている)のに、ストも何もないという感じだ。

 特に産業のハイテク化に伴って、必要とされる労働力はInterchangeable(相互交換可能)な労働力になっている。「アンタが嫌なら中国へ行くよ、沿岸部の人が嫌がるなら、内陸部からいくらでも人はくるんだよ」とまあ、そういうことである。最近回りで聞く、ホワイトカラー系も凄い状況だ。3ヶ月ごとに契約更改がある(クビが繋がる)条件で働いているという話を聞いてびっくりしていたのだが、それを上回る一週間毎というのが某外資系投資銀行(証券会社)であるという話を聞いた。週末に携帯電話に人事部から電話がかかってきて、クビを切られたら月曜日に担当者が来て机の中をダンボールに詰めて本人に送るのだそうだ。

 そういう労働は人間性を破壊する。

 長い年月をかけて積み上げてきた人間の基本的権利は、ここへ来て全く無視されるようになった。ある意味では、9条よりも形骸化が激しいのが労働基本権じゃないか。現代的な危機ていうのは、資本が巨大化・加速化し、人間がまるでロボットの部品の一つのように扱われることだ。これは歴史への逆行であり、その勢いは経済のグローバル化に伴ってますます強大化している。

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9月19日(日)「頭休め」

 安保の小さい方の原稿は終わったけど、まだ大小色々原稿が残っているので、また一から丹念に資料読み。

 一つ終わって疲れているのか、集中力が落ちてる。というわけで映画を見る。「ゴーストバスターズ2」(何で?)「サブウェイ」(リック・ベンソン監督、ピーター・セラの音楽が良い。傑作ではないけど、いいんじゃないでしょうか)「カプリコン1」(よく出来てる)「無防備都市」(第二次世界大戦中のドイツ占領下のローマを撮った半ドキュメンタリー。胸に迫る)


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9月18日(土)「フォッグ・オブ・ウォー」

 プロ野球のストを見て、「スト」って久しぶりの言葉だなぁ、と思う。プロ野球選手は人気があるからストを打てるけど、今、一般の企業でそれをやったらすぐに誰かと取り替えられそうだ。それを考えると、ここ数十年でいかに労働者の立場が弱くなったことか。

 NHKの不祥事に関する総務委員会の中継を院内TVでチラっとみた。あまりの答弁の木で鼻をくくったような冷淡さに、「これは数十年前の官僚答弁のパロディなのか?」と思ったのだが、これもNHKの内部体制とか組合とかがしっかりしていたら、あそこまでひどい答弁にならなかったんではないかな。

 ま、読売のナベツネもNHKの海老ジョンウィルも、今まで激しい競争にさらされてこなかったので60年代的な「生な(洗練されていない)」従業員管理をやるから、事件が目立ってしまうだけなんだろうけどね。

 60年代といえば、そう、85歳のマクナマラ元国防長官 (ちょっと無理やりか)。ハーバード大で統計管理学を教えていて、第二次世界大戦で爆弾投下の効率化などの作戦を立て、戦後はそのチームごとフォードに移籍し、社長にまでなる。その後ジョン・F・ケネディに見出され、国防長官として、ケネディ、ジョンソンに仕え、キューバ危機、ベトナム戦争という冷戦期のアメリカの舵取りをする。

 その彼が、85歳になって過去を振り返るとという淡々とした映画が「フォッグ・オブ・ウォー」。某候補者や元秘書の方など政界関係者が結構みてるので、楽しみにして観にいった。

 分析は冷静だが、衝撃の告白とかはでてこない。「85歳になっても守るものがあるんかいな」、という気もするが、まぁそんなものなんだろう。彼の場合、政治家ではなくて超優秀な官僚なので、命令されたことは100%完璧に仕上げる。その命令がいいか悪いかという価値判断はしない。だからベトナム戦争の責任を問われて、「責任は(ジョンソン)大統領にある。ケネディだったら違っていただろう」という答えになるのだろう。

 昔は物事がむき出しで分かりやすかった。


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9月17日(金)「新たな階級闘争(クラス・コンフリクト)」

 山口二郎先生はマイケル・ムーアの「華氏911」をみて、「新たな階級闘争だ」と思ったらしい。ムーアの故郷であるミシガン州フリントで自動車工場が封鎖されて、失業者が何万人とでる。当然街は一気に不景気になり、そこに軍隊の隊員募集がくる。失業者の中でも特に貧しい黒人層が応募し、イラクに行き、チェイニー副大統領が取締役をしていたハリバートンみたいな軍需産業を儲けさせる。

 1900年代初めに3対1だった貧しい国と豊かな国の所得格差は現在120対1になっている。国VS国だけでなく、国の中でも貧富の差が拡大している。

 昨日の「リヴ・フォーエヴァー」でも中産階級出身のブラーに対抗して、労働者階級出身のオアシスが「爪の間に泥が詰まってるか詰まってないかの差だ。バカ」みたいなことを言っていたが、そういった階級というのは健在だし、新たな階級というのが生み出されている。


 経済原理だけだと「富める者はますます富み、貧しき者はますます貧しく」になってしまうので、それをストップさせるのが政治とか正義なのだが、それがうまく働いてない。政党は企業献金に乗っ取られ、政府は天下りや癒着で企業に乗っ取られ、企業に対する税金は国際標準化の名の下どんどん引き下がられ、足りない分は消費者から取ろうと画策されている。

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9月16日(木)「リヴ・フォーエヴァー」

 憲法辞典プロジェクトの担当部分(安全保障)が、ようやく(一次)脱稿。早朝に前夜直した文章を修正し、また夜に赤ペンをもって見直す。また朝になったらそれを直し・・・の繰り返し。見直すたびに修正点が見つかって、「この作業一体終わるんだろうか・・・・」と半泣きになっていた。

 理屈は分からないけれど、人間の脳というのは潜在意識下で動いているらしく(忘れていた人の名前を後で思い出す、など)、一度書いたものでもしばらく時間を置いて読むと色々発見する。

 明日で終わる映画「リヴ・フォーエヴァー」をレイト・ショーで観にいく。90年代半ばの「クール・ブリタニア」としてブームになった頃を、オアシスやブラーやマッシブ・アタックやデザイナーのオズワルド・ボーディングらのインタビューで振り返るというもの。

 一度、飛行機の中で見たことがあるんだけど、あまりにも強いイギリス訛りで内容が理解できずに早々に眠ってしまった。今見直してみると意外なことに政治が沢山出てきたり、結構面白い。

 サッチャー時代11年間の封鎖的な重苦しい雰囲気が、メジャー政権になって徐々に薄れ、新しい才能や文化が花開いていった。それにあわせて、労働党政権に替わり雰囲気の変化が決定的になる。労働党=トニー・ブレアがロック/ポップカルチャーをうまく取り込もうとした所も描写されている。

 ただ、今から考えると、これらのブームはオアシスのギャラガー兄弟という才能に寄っていた部分が大きかったように思う。オアシスの三枚目のアルバムがポシャったことによりこのブームは終息する。何故あんな才能が出来てきたのか分からないけど確かにオアシスの一枚目二枚目(特に二枚目)は素晴らしい。

 隣でイギリス人(かな?いや、絶対そうだ)が、全然「何でここで笑うの?」という所で爆笑しまくっていた。やはりイギリス人にしかわからないユーモアがあるのだろう。

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9月15日(水)「Show the Black」

 東京財団・虎ノ門道場で元ポリスのスティングのようなゴラン・スヴィラノヴィッチ、セルビア・モンテネグロ前外相の話を聞く。この方、1963年生まれで、年齢は僕と二つしか違わない。36か37でミロシェビッチ政権崩壊後の外相になって、最近まで勤めていた(2000~2004)。現在、セルビア民主野党連合・セルビア市民同盟党首。

 セルビア・モンテネグロは去年改名されたが、以前はユーゴスラビア連邦で、名前が示すとおりセルビア人(940万人)モンテネグロ人(65万人)からなる連邦国家というか共同体というか、イマイチ不明な国家である。何せセルビアとモンテネグロそれぞれに首相がいて議会があって政府がある。

 その上に、ゴラン・スヴィラノヴィッチ氏のいたセルビア・モンテネグロの大統領がいて、閣僚が5人いて、議会があって行政府があるという非常にややこしい体制だ。
 
 外相というとなかなか凄い役職に見えるが、実際は権限や予算の問題で実権がなく、苦労したという話もチラっとしていた。そうだとしても、この若さで世界中から袋叩きにされた新・ユーゴスラビアを背負ってきたというのはたいしたもんだね。役職や仕事が人を作るという面はあるからか、プレゼンテーションも良かった。

 実は、紛争と国連の介入などを調べていたので、コソボ紛争で有名なセルビア・モンテネグロの旅行しようと思っていた(いる)のもあって、講演を聞きに行ったのだけど、飛行機が取れずに断念するか検討中。マケドニア方面などアルカイダ系のテロリストが現在もいる地域から入るのは結構危ないらしいし、治安のよくなったクロアチアやスロベニア方面は実は人気のリゾート地だったりするので席が取れないのかもしれない。

 夜、大川興業の本公演「Show the Black」。90分間真っ暗闇の中で行われる芝居で一体どうなるのかと思ったが、非常ーーに面白い(よく見たら再上演だった。なるほど)。東京は20日まで、神戸・名古屋方面もあるらしいので気になる方は是非。

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9月14日(火)「山口二郎」

 安保勉強会で北海道大学の山口二郎先生に来ていただく。以前、ポスト公共事業委員会や市民版憲法調査会などでお会いしているので、2回目か3回目かな。週間金曜日とか生活経済政策とかに書かれた最近のものを読むと、「民主党は第二保守政党」と決め付けるのではなく、とりあえず政権交代させるために盛り立てていくべきだ、ということを盛んに書いている。

 「民主党は第二保守政党」というと、平和・民主主義者が支援しなくなり、自己実現的予言になってしまうという。何処の国の政党だって一枚岩ではないのだから、ヨーロッパの社会民主主義政党のような中道左派を広げていくことが肝心だ、と。

 確かに、アメリカの自由競争モデルとヨーロッパの社会民主主義モデルがあって、日本はヨーロッパモデルの方に土壌として近いんじゃないかという感じは僕ももっている。特に、ブッシュになってから共和党が極右(ネオコン+宗教)に乗っ取られて、内政でも外交でも「むき出しの競争原理」に振れ過ぎているので、距離が必要だ。

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9月13日(月)「人事」

 東京プリンスで臨時大会。ネクスト大臣や党の役職が替わったり、会社の人事異動とほぼ同じ。ネクスト大臣や副大臣のポスト、委員会の委員長や理事のポストの電話がかかってくるか、こないかで一喜一憂。人事の解説と予想が関心を引くのは何処の世界でも変わらない。

サラリーマンっていいなぁ

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9月12日(日)「ソロス・オン・ソロス」

 ジョージ・ソロスの『ブッシュへの宣戦布告(原題:アメリカ単独覇権のバブル)』を読んだが、非常に面白かった。彼は僕の行っていたLSE(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)の卒業生で、何と哲学者のカール・ポパーに師事していたという。カール・ポパーといえば、可謬性(fallibility)、要は科学で正しいとされても、それは一時正しいだけで、将来それに反する証拠がでてこないともかぎらない、という考えや、自分の考えや行動は状況に含まれているのだから、必ず状況に反映されて自分に帰ってくるという再帰性(reflexivity)、開かれた社会(オープン・ソサイティ)などという考えで科学・哲学において偉大な功績を残したおっさんだ。そういえば、調査手法(リサーチ・メソッド)の授業で、いきなりポパーを読まされて、さすがLSEだと驚いたことがある。

 そんな哲学を投資に(マジに)生かしているんだから、ソロスというのは訳が分からない。自らの財産でオープン・ソサエティ財団を旧ソ連各国に作り民主化を援助していたりする。そんなソロスが、共和党過激派(ネオコン)に乗っ取られたアメリカを憂慮して、ブッシュと戦っている本。分析も冴えてるし、世界をどうしていくかという対応策も具体的だ。

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9月11日(土)「あれから3年」

 あれから3年か・・・・。
 あの日は前日が凄い雨ですぐに上がって見たことも無いような綺麗な夕日がでていた。当日は、何故か表参道のカフェでやたらハイになる変なものがはいってるんじゃないかと思うぐらいの変なビールを飲んでたんだった。一年後はアメリカで迎え、二年目はギリシャで迎えた。

 ものすごく色んなことがあったけど、まだ3年なんだね。あれ以降、世界は一変といっていいぐらい変わった。イギリスでは反テロ法、アメリカでは愛国者法、日本では自衛隊法改正、自衛隊海外派遣・・・・。一挙にジョージ・オーウェル化がすすんだ。

 確かに9.11は衝撃的で、なんの留保もなく被害にあわれた方に同情する。しかし、我々が知らなかっただけで第三世界(うわっ、差別的な言い方)に対して9.11級のことを延々と西側はやり続けていたのだ。米国は1998年にスーダンの薬品工場を爆撃しているし、ニカラグラへの攻撃なんて国際法廷で有罪判決を受けて、さらに安保理に提訴され、勿論拒否権を使い、さらに国連総会でアメリカ、イスラエル、エルサルバドル以外の圧倒的多数で非難決議を採択されてるぐらいなのだ。

 人数の問題ではないけど、9.11では民間人が約3000人亡くなったが、その後のアフガニスタン攻撃では3000人~5000人、イラク攻撃ではイラクボディカウントによれば約1万2000人の民間人が殺されている。

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9月10日(金)「かえる屋ケロリン堂」

かえる屋ケロリン堂(谷中)
かえる屋(人形町)

上京中の森山浩之大阪府議会議員とお会いする。

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9月8日(水)「ハゲクイワシとシロシロナガスクジラ」

 いろいろトラブルに見舞われながらも、東京に戻り、早稲田大学マニフェスト研究所主催の第一回ローカル・マニフェスト検証大会へ。

 マニフェストなんて、ハゲクイワシの絶滅に関する研究学会ぐらいしか人が集まらないだろうと思っていたら、なんと、大きな教室に人人人・・・。

 民主、自民の議員の方の顔もチラホラ。党関係、秘書の人も見覚えのある顔が沢山。自治体の市長さんなんかも来られていたそうだ。

 しかし、ローカル・マニフェスト検証大会へ来ていうのもなんだけど、マニフェスト自体は手段であるはずなのに、目的化してるというか、人類の進化の過程を調査しているのに突然変異で真っ白になったシロナガスクジラを調査しているような気がしないでもない。

 内容はいろいろヒントに富んでいたので、明日時間があれば報告します。

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9月9日(木)「ハゲクイワシとシロシロナガスクジラ続き」

 昨夜、ローカル・マニフェスト大会の後にNIRA(総合研究開発機構)のセミナー第一回目にでたのだが、これが最近珍しいぐらいつまらない。

 まず、NIRAの理事長が挨拶をされて(多分経企庁のOBの方だと思うのだけど)、「石油ショック以降の国際情勢から、先例主義の官僚制では状況に対応できなくなり、官が政策を独占している状況を改める為にNGOや民間シンクタンクなどの多元的なアクターがうんちゃらかんちゃら・・」と、おっしゃっている時はごもっともなんだけど、今やそのようなことは常識で、いまさら改めて話されることなのか。

 官僚制が戦後、天皇の官吏でなくなってからモラルが消滅しよけいに悪くなって、大蔵省ノーパンしゃぶしゃぶ接待まで行き着いたと。一時期、官に替わって政治主導が特効薬みたいにもてはやされたけど、二大政党制に近くなって現実感が増してくると、政党に大して差があるわけでもなく、政治家だってよく見たら金儲けと地盤維持に走り回ってるだけで大した事をやりそうにない、民間シンクタンクだって財閥系は地方自治体の開発案件を受注して、「先に開発ありき」で、開発にOKを出す為の報告書を作成して日銭を稼いでいる有様だし、独立系のシンクタンクは方向転換するか、青息吐息の経営をしてるかだ。民間NGOは期待ばかりで金もなければ人材も無い、ノウハウもない。いつまでたってもアマチュアの集まり。

 こういった、すべて手詰まり、不毛の荒野でどうやってやっていくのか真剣に悩んでいるのが今の政策関係者ではないだろうか。そこに、ウォルフレンがはやった80年代(懐かしい。ボーイ・ジョージ・・・)みたいな話をされてもどうなのか。まあ、参加者のレベルが分からなかったので基礎的な話をされたんだと好意的に解釈するけど・・・。

 
 その後に、早稲田大学大学院公共経営研究科の縣公一郎教授の講義があったのだが、これがまた正直辛かった。

 ここのホームページでは「人の悪口を書かない」というのがポリシーの一つだが、公にされているもの、公人の行動などについての評価は書く。ましてNIRAセミナーは自分でお金を払ってるんだし、それが良かったか悪かったかは書いてもいいだろうと思う。しかも、中傷目的ではなく学問的議論の為は積極的にやっていいと思う。

 縣教授は政策に関する基礎モデル(循環モデル、ネットワーク理論、ゲーム理論、ゴミ箱モデルなど・・)を説明されようとしていたんだけど、問題はそういったもので現代の大問題が一向に解決されないことにあると思う。

 ODAの評価でJICAの政策評価のモデルの話をされていたが、今の政策評価(と呼ばれてるもの)では、外務省が決めた方針に従ってJICAがどのように効率的に政策を実行したかは分かるかもしれないが、ODAが世界二位に落ちたことがいいのかどうかなど、政策そのものが正しいかどうかは分からない。
 
 つまり、高速道路建設が費用/便益の観点から効率的かどうか政策評価されても、高速道路建設をするかどうかは検証されなない。政策評価の仕組みも仕組み自体は一杯あって日本でも沢山実行されている。しかし、誰が見たって無駄になる高速道路建設の一本も止められなかったではないか。誰が考えたって破綻する年金のシステムを変えられてないではないか。

 独立行政法人などがやっているのは自治体でいう事務事業評価に近いものじゃないかな。


 マニフェストも同じ。

 「警察官3000人増やします」「駅前保育所1000箇所増やします」。

 はい、年度末までに88%達成しました。僕よくやったでしょ


 それだけである。なんじゃそりゃ。

 その政策が正しいかどうかなどという観点は無い。数字だけパラパラと振りまいて「マニフェストです。県民との公約です」なんていう風潮はどうにかした方がいい。

 昨日のマニフェスト大会で呼ばれた知事さんは恐らく全国でも先進的な知事ということで呼ばれたんだろうけど、それどもバラつきが結構ある。「公共事業-あれもこれもから、あれかこれかへ」そんなの誰でも書けるだろ。

 北川前知事がやってたのも、事務事業評価で政策評価とはいえないと思うんだが。まあ、問題意識は政治家が当選するまでは「あれもしますこれもします有権者は神様です」と言っていたのが、当選すると専制君主みたいに振舞うのがよくないという点で、それを選挙の間も有権者が王にとどまっておく為に「マニフェスト」で縛るということなんだろうと思う。それを五十嵐グループはレファレンダムなどの「直接民主制」でやろうとしているわけだけど、いずれにしても、「選挙前は王様、選挙後は奴隷」というのは民主主義の大きな欠陥なのだ。

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