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9月22日(水)「しるす」

 NIRAセミナーの方が前三重県知事の北川正恭氏で、多分NIRAセミナーの「売り」の一つの講座の日だったが、法政大大学院で五十嵐教授が、この前から研究していた明治憲法関連の話をされるので、そちらへ出席。

 確かに、今まで戦後の日本国憲法だけしか見てなかったのだが、日本国民が独力で作りあげた明治憲法の制定史からは学ぶことが多い。日本国憲法も法的には明治憲法(大日本帝国憲法)の改正という形で成立しているし。

 版籍奉還やら西南戦争やら学校制度の確立やら徴兵制やらいろんな事をやりながら、首相級の伊藤博文が一年半も日本を空けてヨーロッパに憲法研究にいっていたりするのだから、明治の創世期のエネルギーがいかにすさまじいかわかる。

 伊藤の部下というか一緒に作っていった主なメンバーが、今でいう内閣法制局長官の井上毅(宮内庁図書頭)、伊藤巳代治、金子堅太郎で、最後は神奈川県八景島に近い夏島という無人島を借り切って、大喧嘩したり、芸者をあげてドンチャン騒ぎをしたりしながら明治憲法の原案を作る。


井上毅(こわし)
 特に井上毅というのが、天才というか異常な努力家で、日の昇らぬうちから深夜まで片時も本を手放すことなし、欧米の思想書から古事記にはじまる日本の書まで、読み体得しているという怪物だ。その彼が、大日本帝国憲法草案(甲、乙)、教育勅語、軍人勅諭、皇室典範を作っていのだから、もっと井上毅は注目されていいはず。

 彼が、明治日本の国の中心と考えた(にした)のは天皇で、そこで

 第一条 日本帝国は万世一系の天皇の治(しる)す所なり
 
 と書くわけだが、

 この治(しる)すとするのが彼の学識で、日本の政体は統治ではない、といっている。日本の国体は 天皇と国民が一体化していて、統治という西洋流の対立構造ではなくて、治(しる)すという形で自然に収まっているのだということを、古事記やら何やらを出してきて例証している。

 結局、井上毅の治(しる)すは西洋流の対立構造でなければ近代憲法と言えないだろうという意見に押されて、統治ということばに換えられる。


戦前: 天皇(国王) VS 臣民  ---- Govern 統治

 から

戦後: 国民主権(国会?)  VS  国民 ---- Govern 統治


という形に替わったが、国民主権という訳の分からないものにとって替わられただけで、明治憲法も昭和憲法も実は官僚機構が牛耳っていることに変わりは無い。

 憲法の教科書などには、必ず「統治機構」という形で国会や行政を説明しているが、本当の国民主権ならば誰が誰を統治するのだ?
 
 今も昔も、一部の権力者達が「奴隷どもや市民どもには何も知らせてはならん。あの愚か者どもに権利など余り与えてはならん。闘技場で見世物でも与えておけばよい」という構造は余り変わらない。今も「生きた戸(livedoor)」と「オポチュニスト(楽天)」の闘技場(野球界)での争いに人民の注意が行っているのを、権力者は喜んでいる。

 「新・市民の憲法」では、今まで統治されてきた市民と統治するものが一体になる。そういう意味で井上毅の構想に近いところがある。

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